• HOME
  • 自転車と自転車競技の歴史

自転車と自転車競技の歴史

自転車競技は当然のように自転車を使って勝敗を競うスポーツで、選手の運動能力とともに、自転車そのものの性能もレース結果に影響を与えます。そこでまずは機材面としての自転車の歴史を、続いてレースとしての歴史を見てみましょう。

自転車の歴史

自転車は18世紀末ごろに発明されたと言われています。当初は前後2つの車輪をつけたフレームにまたがり、足で地面を蹴って進むという遊び道具でした。1813年に前輪の方向を変えるステアリングがついて実用性が高まり、19世紀中ごろには簡単な駆動システムが考えられました。前後の車輪が同じ大きさで、後輪をチェーンによって動かして進むという現在とほぼ同じ形となったのは19世紀末です。明治初頭だったこの時期に、日本にも自転車が輸入され始め、すぐに国産化。鉄砲鍛冶だった現在の宮田工業が自転車の生産を始めたのが1890年でした。
1886年には帝国大学に自転車会が発足しましたが、高価なものだったので上流階級の趣味であったり、スポーツの道具として用いられるのが主でした。しかし1892年に逓信省が電報配達時に使用するようになり、第一次世界大戦を機会に量産化されるようになりました。その後、第一次世界大戦後まで、自転車 は運搬具や交通手段として用いられ、その方向に進化していきました。しかし1960年代以降、都市交通などの普及によって実用性が薄れ、欧米と同様にスポーツ機材としての活用法が主流になっています。

自転車レースの歴史

自転車レースは自転車が発明されてすぐに始まり、徐々に長距離化していきました。1890年代には現在の形態のレースが始まり、1903年にはツール・ド・フランスがスタートしました。当初は1日に500km以上も走る区間があるなど耐久レースとして争われましたが、自転車製造技術の進歩や舗装路の普及もあって、スピードを競うスポーツへと変わっていきました。
トラック競技場を使って戦う短・中距離も1893年には世界選手権を開催されるまでになりましたが、当時は単純に速さを競うだけのものでした。しかし走路や機材の改良によってスピードが高まると、走り方も変わってきました。ロードレースで時速40km、短距離の瞬間速度になると70kmにもなる自転車競技では、空気抵抗の存在が大きく影響し、前走者の背後につくドラフティングが戦術として利用されるようになったのです。それにともなって、さらにスリリングな戦いになるようにレースが複雑になり、それに対応した規則が生まれ、また現在にいたるまで規則の改正が続いています。

日本での自転車競技の歴史

明治19年(1886年)に帝国大学(後の東京大学)の教員たちが運動をする目的で「自転車会」を設立しましたが、これが日本人によって作られたおそらく最初の自転車クラブと言われています。明治26年(1893年)には、三菱財閥の岩崎氏らが 参加して「日本輪友会」という本格的な自転車クラブも設立されました。そして明治31年(1898年)に上野・不忍池で大日本双輪倶楽部が主催した日本人による初の自転車競走会が開かれることになったのです。
当時、自転車はまだ高価なもので、そのため貴族や財閥がスポンサーとなって選手を育成。選手は商社の宣伝用ジャージを着て走り、日当を受け取るというプロレーサーでした。今から100年も前に現在のツール・ド・フランスにそっくりなイベントが日本でも行われていたというわけです。さらに20世紀当初に行われた長距離レースは、新聞社が拡販のために主催したというのも、ヨーロッパの伝統レースとまったく同じなのです。
自転車競技はその後、1934年の日本サイクル競技連盟(後の日本アマチュア自転車競技連盟)の創立によって純粋なアマチュアスポーツとなり、多くのレースが開催されました。さらに第二次世界大戦後は復興の波に乗り、次々と大規模なレースが誕生。しかしこれらは交通状況の悪化とともに次第に縮小化されていきました。
第二次世界大戦前に誕生した初代・日本自転車競技連盟は、戦局の悪化とともにU.C.I.からの除名処分を受けましたが、戦後すぐに再加盟を認められました。その後、国際的なプロとアマ組織の分裂によって、日本プロフェッショナル自転車競技連盟と日本アマチュア自転車競技連盟に分化。前者がプロ部門の国際組織F.I.C.P.に、後者がオリンピックを頂点に持つアマ部門のF.I.A.C.に所属して活動を始めました。そしてプロとアマという垣根が全スポーツ的に取り払われていくなかで、国際組織もU.C.I.に一本化され、日本の2団体も1995年にプロ/アマ統合の組織として今日の日本自転車競技連盟となったわけです。